太平洋戦争後
GHQのマッカーサーは日本の統治後、こう語りました。
「日本の証券取引所は明治11年以来ずっとスペキュレーションの
市場だったのだから、今後10年間は絶対に再開を許さない」
日本に本格的証券市場が誕生したのは、
明治11 (1878)年
渋沢 栄一らによって東京の兜町に設立された東京株式取引所と
五代 友厚にらよって大阪の北浜に設立された大阪株式取引所です。
マッカーサーは
日本に証券市場が誕生して以来
スペキュレーションの市場だったと
言っています。
スペキュレーションとは
投機的な取引のことで、
リスクを取って行う
売買取引を指します。
投資(Investment)よりも
ハイリスク・ハイリターンで、
相場の変動などを利用し、
主に短期的な利益を狙って
行う投機的な取引です。
企業の成長ではなく
株式の上下に主眼を
おくもの、いわゆる
「投機」です。
「企業の成長」=投資
「株式の上昇」=投機
この違いは下げ局面での
「不安」の大きさとして
現れます。
マッカーサーの意見は意見として
GHQは経済民主化政策を始めます。
「証券民主化運動」
証券民主化運動というのは、
戦後、1947年から1949年に
行われた株式保有の大衆化促進運動のことをいいます。
今で言う「貯蓄から投資」です。
この証券民主化運動は、
GHQ(連合国軍総司令部)の
経済民主化政策の一環として
財閥解体が打ち出されましたが、
それに伴い放出された株式を個人に持たせ、
企業支配の民主化を図るとともに、
大衆資金の動因による資本蓄積の
再開と推進を狙ったものです。
証券民主化運動の結果、
1949年度の個人株主数は
419万人と1945年度の
2.5倍になり、
その持ち株比率も69%に達しました。
1949年5月16日
「日経平均」の最初の値がつきました。
最初の値は
176円21銭
同じ日のNYダウは
175ドル76セント
ほぼ同じところから
スタート。
現在
日経平均は約26,000
NYダウは約30,000
この数字を見ると「証券民主化」は成功と言えるでしょう。
しかしながら、「証券民主化」後の
経済成長の中で株式所有の法人化が進み、
1980年代以降、個人持ち株比率は20%台に低下。
高度成長の中給与所得も伸び
金利も高かった時代人口も増加しており
年金も計算上問題なかった。
投資をする必要が
無かった時代が
バブルまで続きました。
結果、株式市場に参加している人は投資ではなく
スペキュレーション取引(投機)の人が残った。
そして2000年代に入り
第二の証券民主化運動
「貯蓄から投資へ」という言葉が叫ばれました。
同時に国民に金融の「読み書き」が
できるよう「金融リテラシー」を啓蒙しています。
「インベスト・イン・キシダ」
(岸田に投資を)
約2000兆円もの
日本の個人金融資産の半分以上は現金・預金で滞留しています。
これを株式などの
投資に回し、投資先企業が成長すれば、
家計には株の値上がり益や配当として恩恵が及ぶ。
岸田首相は呼び掛けています。
金融庁のHPに、金融リテラシーガイドという資料も公開されています。
勤勉な日本人は金融リテラシーも
身に着けていくでしょう。
戦後、
「証券民主化運動」によって
個人株主比率が70%近くまで到達しました。
「貯蓄から投資へ」
「金融リテラシーの啓蒙」
もう20年近く経っています。
なぜ国民は「投資」をせず
「貯蓄」をしているのでしょうか。
戦後と現在の違いは何か。
国の「未来の展望」と
国民の「将来の希望」です。
それが見えない限り
日本国民は動かない。
未来も将来も明るい
アメリカに投資するという流れは自然かもしれません。
参議院選挙もスタートしましたが
政治家の方には目先の小細工ではなく
「未来の展望」を語ってもらいたいものです。
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